知的女性になりたい

ここで「知的女子」と書かないとこに、私の意地がある。年齢のことはもう言わないと誓ったけれど、もう「女子」ではないのだ。「大人女子」という不思議な言葉も使わない。

 

当初は展覧会や美術に関して活発に述べたい目的で始めた拙ブログ。だが、迷走中である。私のどうでもいい考えを述べているダラダラブログになってきている。嗚呼。知的なブログにしてみたい。

 

しかし、そもそも、私、知的な人間ではない。私の好きな『新明解国語辞典』では、「知的」とは「ものの見方、考え方などが感情に左右されない確かな知性に基づいていると感じられる様子」と書かれている。もう、この時点でアウトである。地球とイスカンダル並みに離れているではないか。

 

知的。これは以前から私の問題点でもあった。以前にも書いたが、私は良い意味で「おっとり」していて、悪い意味では「のろま」。いや、「愚鈍」と言ったほうが早いだろう。「愚鈍」ゆえに、某国立大学大学院修了者から「市川さん、大学に行ってたんですか?!」と言われたほど。もちろん、決して大学進学者と非進学者の優劣を比べているわけではない。

 

自己啓発本なんて大嫌いだけれど、ちょっとは読んだほうがいいのかな。知的女性に一歩近づけるものならば、読もうかな。でも、それは私のプライドが許さなくて……っていう素直じゃないところが、知的から程遠いのか。

 

生き方に迷走している。