考えさせられる

ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」読了。

 

本書の帯には次の文が記されている。

 

英国で「ぼく」が通うイカした元・底辺中学校は、毎日が事件の連続。人種差別丸出しの美少年、ジェンダーに悩むサッカー小僧。時には貧富の差でギスギスしたり、アイデンティティに悩んだり……。世界の縮図のような日常を、思春期真っ只中の息子と、パンクな母ちゃんの著者は、ともに考え悩み乗り越えていく。私的で普遍的な「親子の成長物語」。

 

私の説明が不要なくらい本書の内容がまとめられている。この帯の文言に尽きるのである。もちろん、たったこれだけで語られるだけの内容かと断ずるのは早計だ。11歳の「ぼく」が、現代日本でも問題視されている貧困・移民・差別・LGBT・偏見・教育などを、日常生活で直面し悩み、考え、戸惑いながらも前へ進む姿は、特筆に値する。また、「ぼく」に絶妙な距離感で寄り添い、見守っている母ちゃんの姿にも好感が持てる。本書を読みながら、私も「ぼく」が直面する問題を考えさせられた。なお、現在も連載されているルポでもあり、続編も期待できるのではないか。

 

私は、個人的な理由で、本書に驚愕した。それは、「ぼく」と母ちゃんの関係性である。1113歳くらいの男子でも、母親にあんなに学校のことを話したり、個人的なことも話せるのだろうか。ノンフィクションといえども、多少脚色していると理解しつつ、つい、自分と比較し戸惑った。それは、あまりにも私と亡母のそれとは違うから。私は9歳で弟ができ、それ以降は「子ども」として亡母にあつかってもらえなかった。しかし、決して「大人」でもない。弟の世話をし、家事をする「子ども」と「大人」の中間な、表現しようのない不思議な存在。そのようなものだから、学校のことも、自分の考えも亡母に積極的に伝えた記憶は、ない。

 

「ぼく」と母ちゃんのような、こんな親子関係ってあるのか。

 

いろんな意味で考えさせられた。