世界の片隅の小さな私

生きるために仕事をしている。仕事のために生きない。ユルくヌルく生きる。それが私のモットーだ。こんなことを世界の片隅で叫んでいても、誰の耳にも届かないことは重々周知である。でも言いたいのだ。小さな私ではあるが、思いの丈は大きい。もう一度言う。ユルくヌルく生きたい。

 

コーヒー難民

以前も書いたが、私はドトールが好きだ。お気に入りの店もある。ドトールドトールでも、全店均一な味やサービスはない。

 

ところが、私にドトールショックが起きた。私のいきつけの店が混みはじめたのである。小さな店舗で、ちょっと店員が無愛想で、客が少なく、そして客を良い意味で放置し、味は美味しいというドトール。それが今更、混み始めるだなんて!

 

理由はなんとなくわかる。それは近くに商業施設がオープンしたからであろう。その商業施設にはスタバも入っているが、激混みなのだ。そのスタバ難民が目をつけたのが、私のお気に入りのドトール……。

 

あー。スタバを利用するオシャレさんは、ドトールなんかに来ないで欲しい。タリーズや、エクセや、ニューヨーカズカフェなんぞに行って欲しい。ドトールは、ちょっとオシャレさんに気後れしちゃうような、でも、そんな人間にも優しい店なのだ。

 

新たにお気に入りのドトールを探す旅にでるか。いや。あんな良いドトール、他にはない。返して欲しい。私のドトール

 

 

輝いている私

最近、頑張っているので勝手に「輝いている」と自分で言って、他人にも言っている。だって、十分すぎるくらい活躍してるんだもん!輝いているに決まっているじゃん。

 

さて。

 

私は輝きつつも、いつものように妄想に励んでいた。それは、相も変わらず「洋服」である。

 

カワイイTシャツを見つけたのだ。ネットで。ピンク、ベージュ、白、ネイビー、グラックというカラーバリエーションがあって、私はネイビーがいいんじゃないか、と。それで、ベージュのチノパンを履き、白のスタンスミスを履き、黒のリュックサックを背負って、素敵なカフェなんぞに入り、カフェラテを飲みながら読書する……。カジュアルなTシャツとパンツスタイルだけど、知的活動もできるんだってことを、雰囲気で醸し出す私。

 

このくらいささやかな妄想ならば神さまでも許してくれるでしょう。いや。むしろ、これくらいで目くじら立てられていたら、たまったもんじゃないよ。

 

本日のこと。街をフラフラしていたら、思いもかけず、妄想Tシャツを店頭で発見。ネットで見るよりも、ずっとカワイイ。欲しい。でも、Tシャツで6000円って高価じゃありません?!

 

迷いに迷って、レジへ向かった。だって、妄想を妄想にせず、実現させたいものだったからだ。

 

あとは、気候が暖かくなって、痩せるだけだ。

懐かしい味 ②

季節の変わり目の気温乱高下で、夫婦そろって体調不良気味。健康が一番なのだと思うばかりである。さて、こんな時に思いうかべることがある。それは、亡母の「掟」だ。

 

風邪気味だった時、母は絶対に「餃子」を私に無理やり食べさせた。当然のことながら、母の手作り餃子ではない。近所の中華屋の餃子である。母の言い分は以下の通りだ。

 

  • ショウガ……体をあたためる
  • ニンニク……スタミナ補給
  • ……体力回復

 

これは母独自の見解。世間様でまかり通ることではない。風邪気味の時の餃子はツラい。胃にもたれるし、息が匂うし。「餃子効果」を実感したことはない。むしろ、逆に餃子に負けていたような。

 

風邪気味のとき。安静に過ごし、消化の良いものを食べるのが一番である。

健康になる

今日も今日とて断捨離を。果たしていつ部屋が片づくのだろうか。まぁ、先が長いのでのんびりといきたいものだ。決して焦らない。

 

私の手元には二冊の本がある。先にも紹介した、やましたひでこ「不思議なくらい心がスーっとする断捨離」(2011年、三笠書房)と、佐々木典士「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」(ワニブックス、2015年)だ。

 

ミニマリスト・佐々木氏の著書は有名すぎて、もう説明はいらないだろう。かいつまんで述べると、汚部屋から脱却し、ミニマリストになる過程を写真とともに丁寧に説明されている。捨てる方法を55も挙げてくださり、参考になるところも多い。

 

断捨離とミニマリズム。正直なところ、私は両者の違いがよくわからない。佐々木氏の著書をのみこめてないかもしれないのだが、「ぼくたちに~」はやました氏より後に発行されているのに、「断捨離」の「だ」の字も出てきていない。多かれ少なかれ影響を受けているのは明らかなのに。®️マークを入れるのが面倒臭かったのかな。

 

ま、この話はここまで。断捨離とミニマリズム。ここで共通して言えることがある。それは、なんと、健康になれるというのだ。断捨離を実践して11kg痩せた方が実際にいらっしゃり、佐々木氏もモノを捨てまくり10kgほど痩せられたそうだ。そして、やました氏は続けて「肌のツヤも改善」とも断言している。……ンな、本当なのか。詳細は両書にゆずるが、それが本当ならば、ますます実践したくなるものだ。

 

またひとつ目標が。断捨離をして家の片づけを皆さまにお伝えするのはもちろんのこと、私の健康・美容状態も加えてお伝えしたい。これで見事痩せられ、健康にもなれたら、どんな方に出会おうとも私は断捨離をオススメする。さて、楽しくなってきた。

果てしない道

断捨離を宣言し、細々とだがモノを捨ててる私。しかし、我が家にはモノがあふれかえっていて、ホントにモノを減らせるのかどうか不安になってくる。まぁ、ヌルくやるしかない。ここでしょぼくれていたら話にならないではないか。

 

頭でっかちなので断捨離をしつつ、同時並行で「掃除」を勉強している。この時期、おしゃれライフスタイル雑誌では掃除特集をしているものが多いのである。読んでみると、フムフムと頷いてしまう。片手にメモを取りつつ、フムフム……と読み進めていて、驚いた。「片付け心理研究家」なる肩書きの人間がいるのだ。イイなぁ。なんだかよくわからないけど、「掃除」の幅の広さを感じる。心地よい空間をつくりだしたいという気持ちは同じ。でも、人の数だけやり方はあり、正解などはない。こういうの好きっす。

 

私も名乗れるものなら「妄想片づけコンサルタント」と名乗ってみたい。「綺麗な空間にいることを妄想し、そのパワーで片づけをはかどらせてしまう」ということを提唱する人間。妄想力なら負けないもんね。

 

さて。妄想片づけコンサルタントになるべく、明日もモノを捨てよう。疲れない程度に。

やるか、やらないか

カテゴリーに「断捨離」を加えてみた。私は、やる。

 

だからと言って「マジで捨てるのイイッ!!」とかハイテンションにはならないので、あしからず。あくまでも、ヌルく、やるのだ。

 

さて。生来の頭デッカチなもので、断捨離はなんたるか、を自分の中で定義づけないと動くことはできない。やましたひでこ「断捨離」(三笠書房、2011年)を熟読して、まとめてみたい……なのだが、ネットで「断捨離」を検索してみれば、ステキな断捨離ブログがたくさんあって、わかりやすく「断捨離」をまとめてくださっている。それに伴い、私はあえて「断捨離」とはなんぞやってことはしない。(これも、労力の断捨離である←?)

 

また、自分のお部屋を公開することで、モチベーションを上げるという裏技があるらしいが、それもやらない。拙宅を世界中に発信するのなんて恥ずかしすぎるから。それに汚いし。いや、汚いから断捨離するんだけど。

 

繰り返し言うが、私は「やる」という選択をした。あとは実行あるのみ。拙ブログでは、いかにやったかを文字を通して、皆さまにお伝えできれば考えている。