自由の代償

眠れない。酒を飲んでも、薬を飲んでも眠ることができない。なので、ブログを更新する次第だ。

 

少々長い引用だが、下記を読んでいただきたい。

 

私たちのことをよく思わない人がいるということは、私たちが自由に生きているということ、自分の生き方を貫いているということ、また、自分の方針に従って生きていることの証拠ですし、自由に生きるために支払わなければならない代償であると考えていいのです。

誰からもよく思われるか、自分のことをよく思わない人がいることのどちらかを選べと言われたら、私なら後者を選びます。自分のことを嫌う人がいても自由に生きたいです。

岸見一郎「アドラー心理学入門」(1999年) p.151

 

けだし至言である。胸に深く刻んでおきたい。

 

「弱い人間」の一面が出てきている。会社の人間関係つについて、のほほんと述べたが、やはり苦言を呈されたらショボンとなる。帰宅後、ずっと考えていた。意気揚々とズボラ道を歩んでいたが、この「道」すら正しいのかわからなくなるってきた。嗚呼。中途半端な優等生ってこれだからイヤなんだ。

 

ここで改めて宣言したい。傍若無人に生きるのは論外だ。だが、人の目ばかり気にして生きるのは、大変生きづらい。私は生きずらかったために、ズボラ道を自ら選択し、実行することを決断した。その決断には悔いはない。

 

だが、反省することもある。それは、年長者として、職場や若い世代へ理解を示すことができなかったこと。許容することができなかったこと。マリアナ海溝くらいに深い溝を作ってしまったこと。

 

いきなりフレンドリーに接することはできない。しかし、これからは、「考えていなさそうでも、ちゃんとあなた達(職場、と言い換えてもいい)のことを考えて行動していますよ」という姿勢で仕事に向きあっていこう。

 

もう100歩ほど譲歩した。これでも苦言を呈されたら、降参するしかない。

 

以上、もう仕事の話はもう金輪際しないことにする。やはり拙ブログは楽しく、美術や読書や日常のことををルンルンで書きたい場なのだ。暗い話はしたくない。明日から、気持ちを切り替える。「明日」とは、明るい日と書くのだから。