どうでもいいんだけどね

20代より、30代が生きやすい。

 

これは私の言葉ではなく、学生時代の恩師がおっしゃった言葉である。曰く「ある程度の年齢になり、人生経験という名の『抽斗』が増えるため、どんなことがあっても、その『抽斗』で対応ができるから」と。

 

これには頷くことができる。

 

喪主、借金の保証人、出産、子育て、全身麻酔の手術などの経験はないが、これでも人生経験を少しは積んできたつもりだ。

 

学生時代ずーっと中途半端に優等生で生きてきて、努力至上主義者・完璧主義者でもあり、その結果メンタルや身体に病を抱え、爪に火をともすような生活をし、不条理な世の中に接し、人間不信に陥り、夢にもやぶれ、一生笑うことなんてできないとすら思ったこともあった。

 

しかし、人間、立ちなおれるものである。これは強がりでもなんでもない。それは「時間」が解決してくれるから。そして「あんな経験もしたんだな。私、レベルアップした」と必ず思える日がくる。

 

御老体が言う言葉ならわかるが、30代の若造に言われても説得力もない。確かにそうツッコミをしたくなるだろう。しかし、実際に、上記のような経験をした私が立ちなおったのだから、だからこそ、真実味があるのではないか。

 

 

時々「あの時の出来事が今でも私を苦しめる」と述べる人間がいる。はっきり言ってナルシストである。もう、「あの時の出来事」は変えられないので、自分が変わるしかない。「でも」とか「だって」などと言って言い訳をする人間がいるが、自己憐憫も甚だしい。いい加減にしろと言ってやりたい。辛口なことを言っているが、それは過去の私がそのまま当てはまるからだ。この年齢になったのだから、過去の一切を受け入れ、昇華させられなくてどうする。

 

どんな辛いことでも、良いことも「経験」となる。「抽斗」も増える。そして、その「抽斗」の多さが人間としての厚みとなる。

 

こんな私ではあるが、まだまだ未熟者ゆえ、「抽斗」は少ないが、「抽斗」はなくはない。恩師がおっしゃったように30代は20代よりも生きやすかった。果たして40代はどうなのだろうか。

 

30代最後の年齢で、ふと、考えてしまった秋の日である。

 

まぁ、どうでもいいんだけどね。